○…もう随分昔だが、私が在籍していた大学は、障害者を多く受け入れていたので、障害者は当時、身近な存在だった。しかし社会に出ると、障害者に会うことが殆ど無くなった。これがちょっとしたカルチャーショックであった。確かに、積極的に障害者を受け入れていた学校の中で、その密度が高かったのはわかる。ただこれほど障害者の存在の薄い社会が「普通」でなのだ。確かに存在するはずの人々の存在感が殆どないのが「普通」ということが、空恐ろしく感じた。
あれから数十年。今でも障害者との接点は殆どない。しかし目にすることは増えてきたように思う。この間に、バリアフリー化が、その歩みは遅くとも確実に進んできたということは体感している。それだけ、社会の許容性は高まってきたと思う。
例えば今、「ゆびさきと恋々」というアニメが放送中である。聴覚障害を持つ女の子と健常者の男の子とのラブストーリーだ。このアニメの魅力の一つに手話での会話がある。手話の表現が正確なのだ。「ありがとう」「おはよう」「いいよ」「好き」といった日常で使う手話を憶えていこうとする男の子の姿に嬉しくなる女の子。その描写も甘酸っぱい。実は学生時代、後輩の男の子が聴覚障害の女の子に恋をして、一生懸命手話を憶えて普通に会話できるようになる姿を間近で見ていた。まるでそのときを振り返るようなアニメだ。後輩の男の子は結局、彼女に失恋する羽目になったのだが、アニメでは目出度く付き合い出している。
ところで手話は、コミュニケーションの一つの手段なのだが、手話での会話を他から見ると「何を言っているのか解らない」と気持ち悪がられる場合もある。話している内容は、普通の健常者と何も変わらないし、欧米の言語ならば気持ち悪いとは思わないのだろうが…。
この様なアニメが切っ掛けで、手話を憶えようという人が増えてほしい。手話への違和感が少しでも減っていってほしい。社会も企業も、もっと彼らを受け入れてほしい。障害者が身近な環境を楽しんで過ごした自分として、そう願わざるを得ない。
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