○…4月に吉野ヶ里遺跡で発見された石棺がとうとう開けられた。内部は流入した土で埋まっていたが、未盗掘でもあり、副葬品などの発見が期待されている。吉野ヶ里遺跡は弥生時代の大規模遺跡であり、邪馬台国論争の九州説の有力地でもある。ここでもし、邪馬台国を直接示唆するものが発見されれば、有力であった邪馬台国畿内説を揺るがすことにも繋がりかねないということで、注目されている(追記:残念ながら何もでなかった)。
とはいえ、邪馬台国を記した魏志倭人伝でも、それは伝聞として伝えられており、その距離や方角も曖昧なまま。邪馬台国が実在したのかさえ定かではないように思う。というわけで邪馬台国の位置についてはあまり頓着していない。以前読んだ、鯨 統一郎の短編小説「邪馬台国はどこですか」では、岩手県の八幡平が邪馬台国としている。たしかに「やまたい」と読めるし、他の論拠も面白いので興味ある方はご一読を。
ところで埼玉県の「さきたま古墳群」には前方後円墳や円墓が多くある。古墳の上に登ることができ、古代の風景を想像しながら、眼前に拡がる関東平野を眺めることで、時代を超えるような感覚も味わえる。成立は5~7世紀というので、吉野ヶ里遺跡よりだいぶ後世のもので、大和政権の支配下にあったことは間違いない。ちなみに有名な「吉見百穴」ともそう遠くない場所であり、かなり古い時代からこの地域は神聖な場所だったのかも知れない。
そして東京にも古墳はある。芝公園には「芝丸山古墳」というものがある。都内最大級の前方後円墳だ。お稲荷さんがまつられていたり、伊能忠敬の碑もあるなど、江戸時代からも有名な場所だったらしい。古墳が築造されたのは5世紀中頃と見られているが、そこに貝塚もあるので、縄文時代から人が暮らしていた場所だ。当時はこの目の前がもう海だったのだろう。今はちょっとした森のようになっていて、東京タワーのすぐ裏とは思えない。
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