○…女性の名前に対して「女史」とつけることについて、「差別的ではないか」ということで、ちょっとした波紋を呼んでいる。「女史」は相手に敬意を表してつけているので、決して差別的ではない、という意見があって、またぞろ「言葉狩りだ」と吹き上がっている人たちがツィッターで騒いでいるのだ。
結論から言うと「女史」は性差別の典型として、メディアなどではあまり使われなくなってきており、相手が女性であろうが男性であろうが「氏」で統一するのが、ほとんど常識となっている。だがそれに追いつけない人々も多い。
そもそも相手に敬意を表するのに、どうして性別をことさら強調しなければならないのか、そこに明確な理由はない。むしろ「女史」の使用について「男性を標準とし、女性を例外、下位、特殊とし、対語のない女性差別表現の一つ」と論理的に説明されている。
つまり、「女史」に対して「男史」という言葉が並列して日常的に使用されていれば特に問題はないのかもしれないが、そんな現実はどこにもない。男性社会のなかで「女性としては地位が高い」程度の意味なので、その底辺には性差別が脈々と流れているといって間違いはない。
これと同じように最近では、「美白」という言葉も避けられるようになっている。肌が白い=美しいという既成概念は、様々な肌の色の人々が共に暮らす社会のなかでは、一つの偏見として位置づけられつつある。
時代や環境、権利意識が変わると、言葉も自ずと変化していくものである。それに対して意固地になっていては、やがて時代の変化に追いつけず、自らをただの差別や偏見の領域に追いやってしまうだけである。
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