○…学生の時には、周囲に障害者が多かった。それまで一切関わって来なかったので、最初は戸惑いもあったが、すぐに慣れるものである。話をしたい気持ちは、相手の障害の有無には関係なかった。主に親しかったのは、半身不随で車椅子を使っている人たちであった。大学には階段も多いのに、当時はエスカレーターもスロープも殆どなかった。そのため、彼らと移動する際には、3~4人で車椅子を持ち上げて階段を昇り降りしなければならない。それにはちょっとしたコツがあって、片手で車いすの前輪近くのバーを持たねばならない。特に階段を降りる際にはそれをしないと、彼らが自身で体を支えられないので、とても危ない状態になる。それでも、まだ若かったこともあって車椅子を運ぶのは苦痛ではなかった。むしろ、手伝えることで色々と学べること、感じることも多かった。
当時、大学側が全校スロープ化を計画していたのだが、それに反対したのが当事者である障害者だった。理由は「車いすの上げ下げを手伝って貰うのは、数少ない健常者とのコミュニケーションの場だ」というもの。それを聞いた僕ら健常者側も異論はなかった。そういうことで全校スロープ化は、僕らが在籍していた時だけでなく、その後もかなりの期間、実現することはなかった。
バリアフリーという言葉の意味はなかなか深いものがある。自分が体感したバリアフリーは、彼らとともに過ごすということだったように思う。一方社会では、インフラストラクチャーとしてバリアフリーを実現しようとしている。それ自体を非難するつもりはないし、むしろ進めていくべきであるのは間違いない。
最近ではいろいろな場所にエレベーターもある。階段の上で、車椅子を運んでくれる人を待つ障害者の姿も殆ど見なくなり利便性は高まった。ただその一方、駅で車椅子を運ぶのは“駅員の役割”となり、一般の乗客は自分には無関係のことと認識するようになった。バリアフリーは進んだ、と言えるのだろうか?
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