○…10年前の東日本大震災の時、霞ヶ関に居た。しばらくして外に出てみると、日比谷公園には近隣のビルから、ヘルメットを被った人達が集まっている。そういうマニュアルだったのだろう。ふと気がつくと目の前を東京駅行きのバスが通っていった。「良かった。バスが動いている」と思い安心した。だが、それが最後だった。
自宅までは普通なら1時間弱で歩ける距離だったが、当時、膝を痛めて杖をついていたので、公共交通機関が動いていないかどうか、駅を確認しつつ、大きく遠回りをしてしまった。
寒い日だった。家電量販店で暖を取ろうと思い、寄ってみたが、既に店を閉めて、入場が止められていた。東京駅の地下に行ってみると、JRも地下鉄もやはり入場が止められていた。運転再開の見込みが立たない、というアナウンスに、沢山の人が座り込み始めていた。夜を明かすことも覚悟しているように見えた。
再び歩き始め秋葉原方面に向かう。途中、コンビニに寄ってみても、既にスッカラカンだった。居酒屋も満席。朝まで飲み明かす積もりだろう。当時はガラケーだった。電話は繋がらず、家族との連絡はメールだけだったが、それもリアルタイムで連絡を取りあえない。だがお互いの無事が確認出来ただけで助かった。
あまりに寒いので、自動販売機でホットの缶コーヒーを買う。ほとんど売り切れで、選ぶことは出来なかったが、風をよけて一息ついた。
レンタカー屋にも客が並ぶ。途中の大通りは車の大渋滞。タクシーももう拾えない中、2時間以上歩いてやっと帰宅できた。後日、夜通し歩いて帰った人やタクシーで何万円もかかってしまった人の話を聞いて、自分はまだ良い方だったと感じた。
先日は最大6強の余震があった。
まだ終ってはいない。 |