○…国内の新型コロナによる死者はすでに中国でのコロナ死者数も大きく超えており、さらに1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の死者数である6,434人を超えてしまった。新型コロナは、戦後に発生した大災害のひとつとなった。
阪神・淡路大震災をまだはっきりと記憶している。三宮の町が破壊され、ビルが底面を見せて横倒しになっていた。高速道路の橋脚が破壊され、道路が失われたその端に、バスが半分乗り出して止まっていた。死者は日を追う毎に1,000人ずつ増加し、一週間で6,000名を超えた。自分は直接震災を受けたわけでは無いが、あまりの死者の増え方に慄然として報道を見ていた。
この震災の前に、米国でやはり高速道路が地震で倒壊。橋脚からごみが出てきたという話があった。「日本では丁寧な工事をしているのでこんなことは起こらない」と当時のテレビのコメンテーターは言っていたが全く同じ光景が阪神・淡路大震災で再現された。
さらに2011年の東日本大震災。死者は2万人近くにまで達する、さらに巨大な災害であった。そして原子力発電所が爆発した。水素爆発を捉えた映像には爆発音は付いていなかったが、映像が無音であることが、終焉を強く感じさせた。
原子力発電の巨大事故は日本では起こらないと、政府も電力会社も言い続けてきた。それがあっさりと覆された瞬間だった。
そしてコロナ。日本はSARSもMERSも国内蔓延しなかったが、それは単なる幸運に過ぎなかった。日本は何かから特別守られている訳ではないのだ。日本人はどこかで「日本は大丈夫」という、安全バイアスに犯されているように思える。だがその安全バイアスもいくつもの災害によって、簡単に崩されている。
日本も決して大丈夫では無い。油断は大敵である。その実にシンプルで当然のことを再認識するのに、どれだけの命が失わなければならないのか。 |