○…子供の頃、クリスマスと言えばケーキやチキンなどのご馳走を食べられる日、というだけでは無く、夜中にキリスト教会のミサに行く日であった。夜中に出歩くことができるのはこの日ぐらいだったので、いつも少し興奮していた。
それはいつもの教会とは少し違っていた。祭壇はクリスマス仕様の少し凝った装飾が施され、馬屋で生まれたばかりのイエスと、マリアとヨセフの夫婦、それに救世主の誕生を知らされて東方からやってきた賢人が、イエスを祝福している人形が並べられている。いつもより少し厳かな教会のなかで、粛々と進められるミサは、異国のような雰囲気に包まれていた。照明は薄明かり、教会の天井近くには、イエスにまつわるエピソードの宗教画がいくつも飾られているのだが、その日の教会は天井あたりが薄暗い。それがむしろ画を浮かび上がらせていく。
神父の祈り、皆による合唱、繰り返されるフレーズ。振り返ってみれば、神秘性を醸し出す仕掛けがいくつもあった。クリスマスというのはそういう夜だった。どんちゃん騒ぎで過ごしたクリスマスにどこか物足りなさを感じたのは、そこに祈りという要素が無かったからだろう。
教会で歌われる聖歌というのは、独特な旋律で、しかも繰り返しが多いなど、祈りの道具としてよくできていると思う。以前、沖縄民謡の子守唄が、島によって旋律が違うということを教わった。一番北のエラブでのそれは、高音部がとても多く続き、子守唄というよりも、祈りそのもののようだった。もしかしたら、唄というものは、祈りに近いものであるのかも知れない。アフリカでは家族が祖霊のために代々歌い続ける唄がある。日本でも古い和歌は旋律を伴って読まれる。祈りの言葉がより届くよう、旋律をつけて唄うように唱えられているように聞こえる。
今年は特に、色々と祈ることが多かった年でもある。クリスマスには何か、祈るような歌を聴いて過ごしたいと思う。 |