○…志村けんさんが亡くなられた事に対して、自分でも意外なほどの衝撃を受けてしまった。お金持ちの有名人だから、最良の治療を受けて回復し、すぐに復帰するだろうと思っていた、というだけでは無い。自分が東村山市で生まれ育ったこともあって、志村けんさんに対して、自分のなかでは親戚のような感情があったのだということに初めて気づいた。
実をいうと、昔から志村さんが好きだった訳ではない。東村山が全国的に知られるのは確かに志村さんの功績だが、それが志村版「東村山音頭」だったのはかなり困っていた。東村山出身だというと必ず「何丁目?」と聞かれる。市制なんだから、その下に町名が当然あるのだが、そこは誰も聞かない(聞いて貰ってもオチは無いが)。うっかり1丁目とか答えると、盛大にウケた。というかバカにされたような気持ちになったものだ。
志村さんのギャグも確かに面白いものは面白いのだが、一部セクハラシーンのキツイものについては、とてもじゃないけれど見られるものではなかった。
東村山駅前には「志村けんの木」がある。人気が出た時に、わざわざ市が植樹したもので「税金使うほどのことか?」と疑問だった。今になって思えば、志村さんに対する感情は「面倒くさい親戚のおじさん」といったものに近いのかも知れない。
植樹された当時は貧弱だった「志村けんの木」は、いつの間にか今では大樹となっている。自分の中でも志村さんは、知らぬ間に大きくなっていたのかも知れない。 |