○…今年の元日、とにかくテレビが面白くないので少し歩きまわってみた。そこで、これまでの正月とちょっと違った気分を味わった。
なぜかといえば、朝から夜遅くまで開いている小さな店舗の多くが開いていないのだ。土日にはいつも利用するコーヒーチェーン店も三が日とも開いていなかった。
「コンビニエンスストアやスーパーなどの小売業、外食チェーンで元日を休業とする動きが広がっている」と聞いてはいたが、これほどとは思っていなかった。
いいことだと思う。確かに独身者にとっては、いろいろと不便だろう。しかし、正月三が日だけのことだ。我慢できない筈がない。かつては、どこの町もこうだった。
大げさなことをいえば、便利さと引き換えに我々は多くのモノを失っている。働き方改革という掛け声に踊らされて夜も昼も働き、精神的な余裕を失くしてしまっている人がいるかも知れない。せめて正月三が日くらいは、かつての風景を取り戻していいのではないかと、個人的には思う。
友達も帰省してしまった、行くべきところも思いつかない、店舗は休みだ、など寂しさがつのる人も出てくるかもしれない。でも、その孤独感を味わえるからこそ、正月はめでたいのだなどと勝手にこじつけてみる。
○…出雲神話に「クエビコ」という神が出てくる。知恵の神で、何でも知っているとされるが、この神が出てくるのは「スクナヒコナ」登場の時だけ。海の沖合から船でやってきた小さな神。名を訪ねても答えず、これが誰なのか、オオクニヌシも解らない。そこで知恵の神であるクエビコに訪ねると「カミムスビの子、スクナヒコナだ」と答える。
スクナヒコナは、その後オオクニヌシとともに国作りを行う。この二人の神はともに、薬草とその効果を分類し整理したことで、医薬の神とされている。また、農耕も行い田畑を整備していく。まさに国としての基盤作りを行っている。そこで捉えられるスクナヒコナのイメージは「古代テクノクラート」だ。。
スクナヒコナ渡来人説は「奇説」とされている。しかし名を訪ねても答えなかったのは言葉が通じなかったと考えると、さほど奇説とも思えない。
となると、クエビコは多言語を操る神だったのかも知れない。コミュニケーションが可能となったことで、国作りに重要な人材を確保することが出来たと言う話であるとも考えられる。
このクエビコは案山子の神格化という。今、分断されつつあるこの世界をどう見ているのか。黙して語らない。 |