○…台風も一段落、豪雨の恐れも少し遠のいた。けれど大災害にあい、いまだに復旧もままならず以前の生活に戻れない方々はまだまだ数多くいると聞く。国、自治体の支援も行きわたらずボランティア頼みの地域も存在するらしい。そこで思い出すのが、災害における「公助、共助、自助」という言葉だ。
大災害に対しては個人の力はたかが知れている。「自助」といっても災害に備えての備品・備蓄などしか思いつかない。「共助」とは周辺住民同士がともに助け合うという趣旨だろう。「公助」となると、行政はとたんに後ろ向きの姿勢になるような気がしてならない。今年発生した大災害における国、自治体の対応を見ればわかる。とにかく「国の存在感は薄い」のだ。あちらも、こちらもボランティア頼みが顕著だ。
先日、ある新聞にこんな言葉が載った。「行政機能が麻痺し、消防も警察も、コンビニも頼れないとき、どうしたらいいのか。頼りになるのは、隣にいるふつうの人だった」。「不測の事態を打開する鍵は、大きな組織ではなく、小さなつながりにある」というのだ。
「自助」は、一時はやった「自己責任」とは少し違う。国が責任を放棄する言い訳の言葉とは違うが、生存するためには隣にいる人とつながるほかないかもしれない。
○…考えてみれば「アニメ」と共に成長してきたような感がある。幼いころから「宇宙エース」「エイトマン」「スーパージェッター」「鉄人28号」といった日本のアニメや、アメリカの「チキチキマシン猛レース」「ドボチョン一家」「スーパースリー」など、様々なアニメを見てきた。アニメオタク第1世代と言うわけだ。
アニメの進歩は著しい。今年、放火によって多くの社員が無くなった京都アニメーションは、綺麗な作画で定評がある。数年前に流行った「けものフレンズ」は全てがCGで作られたものだったし、最近もCGアニメかと思ったら、VR技術を使った"V tuber"によるドラマだった
その内容も、細かくテーマが設定されるようになっている。昔は絶対になかったスキューバダイビングのアニメや、スポーツの中でも絶対に対象とならなかったソフトテニスもアニメ化された。さらにボードゲームを題材としたものもある。それによると、ボードゲームはドイツ中心に世界で楽しまれいて、ゲームのデザイナーは作家として扱われているという。ヒット作品を作ったデザイナーが箱に自分の名前を書かせたことが作家へと昇格する切っ掛けとなったという。自らの地位の向上のため、主張すべきは主張するということが重要である、と背中を押されたような気がした。
|