○…台風15号で千葉県下の市町村が大きな被害を受けた。その被災状況はいろいろ報道されているのでここであらためて述べるでもなくご存知の方が多いと思う。特に、今回は東京から1時間程度の首都圏での被災ということにもかかわらず、対策が後手後手に回って被害を大きくしたように思える。その状況を見るにつけ、「想定外」はなく、いつも災害を「想定」して対応を個人個人で考えなければならないと強く思った。とにかく、国、自治体はあてにならないと思った方がいいようだ
千葉県に居住するとはいえ、今回の災害被害は殆どなかった。だが、被害の大きかった地域に住む友人が何人かいた。被災後、1週間後にそのうちの2名と成田であった。1名はいまだに電気が通じることなく、風呂にも入れないという。もう1名はすでに電気は通じている地域から来た。当初は情報が全くないので、車のシガーソケットを利用して携帯電話を充電して外部と連絡したという。
一番困ったのは、「状況がどうなっているのか、復旧のめどがどうなっているか」という情報が全く得られないことだったという。数日しても「市の広報車が巡回しくる気配はなく、住民に情報を伝えようという意思が…」。頭にきて危機管理担当に電話したら、「人手がなくて、アハハ」と笑ったという。ここは笑う場面ではない。
○…「記憶にございません」という映画が公開されたが、日本人はそもそも記憶にあまり拘らないのでは無いか。
しばらく前にフランスが高速炉「アストリッド」の開発を中止したことで、協力していた日本の高速炉開発も先行きが危ぶまれる、という内容のニュースが出回った。フランスのル・モンド紙が記事にしたものを、日本のメディア各社が後追いでニュースとしたものだ。だがこの話、昨年既に、フランスはアストリッドの開発を中止する旨を日本側に説明している。また、中止を受けて日本の高速炉開発の先行きを危ぶむ声はあった。
その後、昨年の暮れには高速炉開発ロードマップが策定され、それに基づき今年に技術提案が公募され、すでに締め切られている。現在、政府が応募された10数件の技術の審査を行っている。
ところで、政治家が良く使う「記憶にございません」は殆どゴマカシだが、日本人は何故か「記憶に無いんじゃしょうがない」と諦めてしまう。不正献金もお金を返せば、それで良しとされてしまう。記憶に無い、ヤバイお金は返した。それで事実そのものが無くなった事になってしまう。巨大事故でも経営陣は「予見できなきゃしょうが無い」ということで無罪放免。起こった事実そのものを、正面からあまり見ようとしない傾向がある。いわばご都合主義である。 |