○…かつては山登りが趣味であった。現在では足腰が弱まり、里山を楽しむことさえも無理になってきた。学生時代に山のクラブに所属し、日本全国の急峻な山岳地帯を訪れた経験がある。森林限界に達するまでの深い森林地帯を彷徨った。登山道に横たわる苔むした倒木にも数知れず出くわした。それらは道を阻む邪魔者としての記憶しかない。特に若いときは、陽が届かないうっそうとした森林地帯などはピークに達するまでの単なる道程としか思っていなかった。しかし、歳を経るにしたがってその過程こそが大いなるリフレッシュ、楽しみになってきた。清浄な空気、森林を通り抜ける風、さえずる鳥たち。そういえば、人間の手が入っていない森林には朽ち果てた木々が数多くあった。
先日、バイオマス発電事業者協会の講演会を聴講した。そのなかに「スマートフォレストリーとバイオマス発電の相互発展」た題する講演があった。衰退しつつある日本の林業がビジネスとして成り立つために如何なる方策があるか、という趣旨であったと思う。
かつて彷徨った森林地帯を想い出した。放置された未利用材を活用するには、相当な労力と時間が必要だろう。十分なペイを得られる、さらには若い人が魅力を感じるような姿になる林業。発展を期待したい。
○…レジ袋の有料化法案が国会に提出されるという。海洋プラスチック汚染の問題が注目される中で、これほど異を唱えにくい法案もないので、おそらく成立するだろう。だが、この法律は海洋プラスチック汚染の問題解決には繋がらない、と、ここでイチャモンを付けておきたい。
例えば、これが成立すると、これまでごみ袋に転用していたレジ袋の代わりに、わざわざごみ袋を買わねばならない。そのごみ袋には、それを包装するビニール袋がある。したがって、ごみを出す回数が同一であれば、袋の数は増える事になる。これをどう説明すべきか。
そもそも、日本は人口減少の中でごみの排出量そのものが減っている。容器包装リサイクル法でプラスチック廃棄物の量も減っており(と容リ協会は言っている)、そこでレジ袋を有料化したぐらいで、この大きな問題へのソリューションにはなり得ないと考える。
まずやらなければならないのは海洋への流出を止めることと、流出したプラスチックごみの回収である。これは社会インフラの問題であり、レジ袋のような小さい話でナントカなるものではない。
レジ袋の有料化法案が、なんとなく胡散臭いのは、根本的な解決から国民の目を逸らしているからではないか。 |