○…ゴルフなどを除いたほとんどのスポーツにおいて審判員の存在は極めて重要だ。勝利の行方を左右するがゆえにその判定は論議を呼ぶ。特に国の威信をかけていると思い込んでいる人が多いオリンピックでは、「疑惑の判定」と呼ばれるものが必ず出てくる。
日本人が活躍することが多くなっている大リーグ(MLB)が面白い。最近では日本のプロ野球(NPB)より面白いと感じている。プレイヤーの技術的な巧拙だけではない。NPBより面白いと感じる大きな理由の一つに「チャレンジ」がある。審判員の判定に、ビデオ判定を要求できる権利がある。球場のあらゆる角度からビデオで録画できる装置があることから可能になっているシステムである。チャレンジの結果をみると、審判員が「よくぞ見ていた」と感心する場面と、その逆もまたある。
この制度をMLBが取り入れたのは確かここ2〜3年のこと。このシステムにより、「誤審」は確実に減っている。では、ホームラン位しかビデオ判定を取り入れていないNPBも「チャレンジ」を採用すれば…となるが、球場にその装置を取り入れる費用が膨大になる。そうすれば、確実にゲームは面白くなると思われるが…。
野球においても、「誤審」もゲームのうち、と割り切ってプレイするほかないのである。
○…「中立の立場」というと、相反するどちらの主張にも耳を傾け、冷静に判断を下せる、という印象があり、日本社会では好ましい姿とされる傾向がある。確かに、物事によってはこのような姿勢が好ましい場合もあるが、実際には多くの場合、自分が責任を取りたくないがために、単に「どっちつかず」の半端な姿勢に終始することになる。あるいは「興味が無い」ことに対して「中立」を表明することでその問題から距離を置きたい、という場合の隠れ蓑にもよく使われる。
この程度の使われ方なら、苦笑いして、右から左に受け流せばよいことだが、世の中には笑ってやり過ごすわけにはいかないこともある。
例えば学校でのいじめに対して「被害者にも落ち度はある」という評論を下すことは「中立」で済むだろうか?この言葉によって、被害生徒は突き放され、加害生徒を擁護することになる。これは中立ではない。加害側に加担する行為と言える。同じことは、性犯罪の被害者に対しても言えることだ。中立を装うことで、かえって加害側を擁護していることになるのだ。
差別も同じ。警察は「中立」といってヘイト団体デモを守る。結果的にそれはヘイトを垂れ流す手伝いをしてしまっているのだ。中立という言葉は、時に問題を悪化させるので注意が必要だ。
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