○…今さらながらだが、テレビのバカ騒ぎにはうんざりさせられる。慶事ばかりではなく、そのすそ野はスポーツからスキャンダルまでに及ぶ。これでもかとばかりに、同じ報道を連日見せられるのである。
最近でいえば、秋篠宮眞子様婚約。それはそれでおめでたいのだが、テレビのバカ騒ぎぶりはどうだろう。お祝いムードへの同調圧力が目立ち、お祝い事だからこそ、温かく見守ってあげるということができないのだ。これが連日続く。やっと下火になったと思ったら、今度はスポーツだ。横綱稀勢の里報道一色になったかと思ったら、今度は卓球である。誰かカリスマをつくってその場限りの盛り上がりをつくり、報道に意味をもたせようとする。真に何を伝えるべきか、讃えるべきか、それが分かっていないから、ただのバカ騒ぎにしかならない。
報道内容が全て無意味と言っているのではない。確かに当初は報道すべきも内容も多いと思う。ただ、ほとんど同じ内容を、連日見せられるのにはうんざりする。トピック的な人を、どこのテレビ局も連日にわたって追いかけ回す。そして、熱しやすく、冷めやすいのは国民ばかりではない。テレビもそれに同調する。視聴者に本当に伝えなければならない、忘れ去ってはならない事柄を地道に伝えていく努力が今こそ必要ではあるまいか。
○…「ゆとり教育」がよく批判されているが、何故ゆとり教育がダメだったのか、きちんとした論議がされている訳では無く、多分に情緒的な話が多い。
例えば、円周率を3.14ではなく3と教える、ということが批判されたことがあった。しかし、ゆとり教育以前の自分も最初は3で教えられていた記憶がある。その後に3.14と教えられた。ゆとり教育下でも、中学卒業まで3と教えろといってた訳ではもちろんない。実はこれはゆとり教育の導入前後であまり変わらなかった部分であった。
もちろん「ゆとり教育」批判は国際的に学力低下が指摘されたことで始まったのだが、それも「より考える力を養う」という「ゆとり教育」の理念に沿った効果的なプログラムを行政が構築できなかったためだ。理念を実現するメソッドがいい加減だったのだ。さらに、保守派による現場教師批判により教師の負担が重くなり、単に授業時間を減らす事ぐらいしか、現場で対応できなくなった。その結果として学力が下がった「ゆとり世代」を、今度は社会がバカにするようになったのである。
だが、今や世界で活躍している若い人々にはゆとり世代が多い。ゆとり教育前の世代では考えられなかったような活躍をしているのも事実である。
ゆとり教育とゆとり世代。もう少し、ちゃんとした評価がされても良いと思う。
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