○…昨年の今頃だったか、ある気象予報士が「花散らし」という言葉が本来の意味と違った使われ方をしていると解説し、少し話題になったことがある。
お花見シーズンも満開となると、悩ましいのは花を散らす雨や風だ。場所取りや料理や酒を用意する役を任されたりしたら、天気予報が気になってしょうがないはずだ。その桜の花を散らす雨や風のことを「花散らし」と、いかにも風流な表現として使ってるニュースがあったりするとそれは誤用であると指摘したのである。確かに、広辞苑によると「花散らし」は「3月 3日を花見とし、翌日若い男女が集会して飲食すること」 という語義しか載っていないそうだ。旧暦3月3日といえば今でいう3月の末で桜も満開である。「翌日に若い男女が集会」とは意味深であるが、深く詮索するのはよそう。
「花散らし」は、野山に出かけることを桜の花びらを散らしに行くのだと少し風流に言ったのであろう。「花(を)散らす」という表現が、本来は別の意味であった名詞の「花散らし」といつの間にか結びついて、「花散らしの雨」のような言い方が生まれたのかもしれない。
桜の季節になり、この「花散らし」という言葉を思い出した。つくづく日本語は難しい。そういえば、はやりの「忖度」などは外国人には理解できないだろう。
○…朝、近所の寺の脇を通る。かつては駐車場であった場所が、今は建設工事に入っている。老人ホームを新たに作るという。その駐車場には以前、猫が2〜3頭住みついており「駐車場ネコ」と呼ばれていた。いわゆる地域ネコであり、近所の事務所やご老人が飲み水や餌を与えているのを見かけた事がある。
建設工事が始まった今、駐車場はシートで囲われ、中に重機が入り、とてもじゃないがネコが居られる場所では無くなった。あのネコ達はどうしただろう?と思っていたが、水や餌を与えていた会社の室内にケージが置かれ、そのなかで寝ているのを見た。どうやら、その会社が面倒をみることにしたらしい。しかし、ネコ達の動きは緩慢で、毛並みも荒れている。既に大分、年老いているようだ。
家の近所にはこうした地域ネコが結構、居たのだが、見かける地域ネコの殆どが耳にカットを入れられていた。去勢手術の証である。ネコが増えないよう、地域の人達がそうしたことを自発的にやっているようで、そのせいか最近はめっきり地域ネコの数も減った。年老いて死んでいくネコも多い。人間様用の立派な老人ホームが建てられているその向かいで、小さな会社の善意で、老ネコが保護されている事に安心感と不条理感が入り混じった、妙な感覚を毎朝、覚えている。
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