○…この間の与野党による国会論戦のほとんどは相変らず面白くもなんともない。答弁はいつもののらりくらり。追及する側も本当にやる気があるのか、あやふやに尻切れトンボ。常識?で言えば人を愚弄しているとしか思えない答弁にも矛を収める。
そんな中、久し振りに笑える一幕があった。白紙の領収書問題だ。政治資金パーティーに支払った会費には、白紙の領収書を発行することが「慣行」であるというのだ。
なぜこれが発覚したのかといえば、何十枚、何百枚という領収書の筆跡が皆同じであったことからだ。もちろん、発行先は別だから、領収書を受け取った側が記入したことになる。こんなことは、一般企業で行えば犯罪行為になるのは間違いないし、税務署・国税局にばれれば大変なことになる。でも、サラリーマンならば何とか少しでも水増しをということで、恐る恐る手を染めたことは1度くらいは経験があるのでは?
しかし、何十枚、何百枚もの改竄?は想像がつかない。しかも慣行というのだ。笑えたのは、政府トップの言い訳である。「政治資金規正法には、それを禁止する記載がない」。領収書であれば「領収者」が書くのは常識である。法律云々以前の問題であり「常識」なのだ。とうやら政治家は常識のない人の集まりであるらしい。
○…エネルギー関連の国際会議は年に何回か参加する機会がある。また、海外のエネルギー専門家によるセミナーを見に行くことも多い。そうした場で、幾度となく海外のエネルギー専門家の話を聞く機会を持つ中で、ちょっと気づいたことがある。
海外のエネルギー専門家の話は、その人の出身国を代表するような発言は少なく、専門家個人の研究に基づく考え方を披露することが目的の場合が多い。もちろんIEAの研究成果について説明する時は、IEAを代表して話すし、企業の代表ならば企業を代表して話すのだが、国を背負っている感じは殆ど受けない。あくまで専門家同士が意見をまとめたものを発表している。
これに対して日本人の専門家は、その場が公的なものであればあるほど、個人を離れて国を背負って話している感がより強く出てくるのである。その結果、個人や企業、団体ベースで話をしている海外の専門家の話はより面白く感じられ、国ベースで話をする日本のスピーカーの話は、面白く感じられないのだ。
単に感性の問題ではなく、海外の専門家が政治と一線を画しているのに対して、日本の専門家が政治に強く影響を受けていて、自由な発想が妨げられているのではないか。専門家はより個人の研究をベースに話して欲しい。
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