○…人生の残りが秒読み段階に入っているものとしては、まぁいいかと思いつつも絶望感に打ちひしがれる出来事が多くなっている。最近一番感じたのは、言論への統制である。放送内容に対して政治家が気に食わないからと陰に陽に恫喝する態度をみせる機会が増えている。これに応えてテレビ局自体も自主規制に拍車をかけているのではあるまいか。さらにこれに乗って民間団体からも「番組が偏向している」と自分たちの気に入らない番組への攻撃が増えているようだ。
いまや新聞を読む人が減少の一途をたどり、テレビ番組の言論人としての主張への期待が高まっているのは間違いあるまい。しかし、番組自体もあきれるほどくだらないものが増えているばかりでなく、言論も自主統制されているとなれば、最早息苦しさを感じるほかない。
「この国の言論空間は、息苦しさを増しつつある。息苦しさを越えて、窒息感さえ漂い始めている。このままでは日本の言論は死んでしまうかもしれない」という主張を目にしたことがある。
自分たちに逆らう者は、徹底的に攻撃し許さないという風潮が政治家にも、民間団体にも蔓延っているような気がする。気に入らないニュース番組のキャスター更迭を喜んでばかりいると、いつの日か自分たちにはねかえる。
○…東京オリンピックのエンブレムがようやく決まった。国民投票の最下位のデザインがエンブレムに選ばれたので、巷の評判はあまり良くないが、個人的にはこのデザインが良いなと思っていた。色味少ないが、多くのデザインが五輪カラーを意識しているなかで、このデザインは目立つし、記憶にも残りやすい。
B案はカラフルだし、デザインもシンプルで良かった。そのため人気が高かったが、オリンピックのデザインが正円であるのに対して、パラリンピックのデザインが、円がひしゃげているように見えたのが引っかかっていた。
デザイナーに特に意図は無いのだろうが、これではまるで障害者を「不完全な人間」と見ているようだ、という気がしたので、これが選ばれないことを密かに願っていた。
C案の風神・雷神のモチーフは面白い考えで、躍動感もあり比較的好きなデザインだが、A・B案に比べると、やはり一歩及ばない感じがある。アサガオをモチーフにしたD案に関しては正直「無いな」と思っていた。
それにしても、既存のデザインとの類似性をインターネットですぐに検索出来てしまうので、エンブレムの選定は紆余曲折を経た。しかし今回、新たなやり方でデザイン選定を行うことで、選定の透明性が高まったことは良かったと思う。
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