資源というのはそこにあるだけでは意味がない。それを採掘して精製、輸送するというコストを投じてなおかつ利益を得られる採算性があってこそ意味を持つ。逆に言えば、採算の取れない資源などは、存在しないのと同じである。尖閣諸島や東シナ海あたりにいくら資源があると言ってもそれが採算が取れない以上は、社会的には無意味だ。
JOGMECが沖縄沖で大規模な海底熱水鉱床を発見したと発表した際、今後の商業化の課題について質問が出た。「採鉱技術がまだ無い」というJOGMEC側の説明に対して、明らかに落胆の雰囲気が会場を包んだのは「採鉱できないなら資源があってもしょうがないじゃないか」という気持ちの表れで、それは理解できることではある。
その一方で「日本の技術は凄い」という近年のマスコミの刷りこみ効果も大きいのではないか、とも感じた。深海での採鉱技術は陸上の技術とは比較にならない難しさがある。これまで、日本では市場すらなかった所に、技術が存在する筈もない。現在、技術開発も進められてはいるが、まだ実用化の段階には至っていない。そもそもサブシーでは日本の技術開発は遅れている。
そういう現状認識から見れば、今回の熱水鉱床の発見は技術開発を促す可能性を孕んでいるというように見える。いわば米国のシェールガス革命の道程を辿るような形になっていくのではないか、という仄かな期待を感じさせる。
もともと、日本は資源小国で資源開発プロジェクトそのものが商業的に成り立たなかった。特に海洋資源開発ではメーカー側も開発意欲がわき出るような話も無かったこともあって、資源開発技術の裾野が小さいのが、日本の技術的な弱点ともなっている。
技術開発の障壁となっているのは、技術そのものの難しさではなく、開発投資が回収できるような、規模感のある市場が期待出来るかという点に尽きる。それさえあれば、優秀なる日本の技術者の力をもってすれば、サブシーに関する日本の技術開発も進むことだろう、と期待しておく。 |