「その行動は、家族・友人に“自信を持って”話すことができるものですか?」「その行動は、お客様や地域社会の方々から見て、問題のないものですか?」「あなたは、“目先の利益”や“その場しのぎの対応”に目を奪われていないと自信をもって言えますか?」
これは「三つの自己チェック」と呼ばれるもので、2007年の虚偽データ報告の発覚後、東京電力の「企業倫理遵守に関する行動基準」に付け加えられたものだという。プロフェッショナル・エンジニアのエシックスにも似たこの内容であり、これを見れば東京電力の企業倫理基準が極めて高いものであることが解るだろう。ただし、現実にこれが機能していれば、だが。
福島原発以後、とにかく東京電力の発表は常に、物事を過小評価しつつ、情報公開を抑制する方向に働いており、同社への不信感は増すばかりだ。「三つの自己チェック」にはいずれも「但し会社の利益を保護することが最優先される」という別の項目が付いていそうな気さえする。
とはいえ、東京電力に限らず、企業倫理というものは、とかく自社の利益の確保の前に歪みがちである。会社というのは本来、利益を生み出すのが目的であるから、ある程度は致し方ない。しかし巨大な公益企業であれば、それだけ社会への影響も大きいので、より厳しい目に晒されのは当然であり、あれだけの大事故を起こした以上、内輪の業界にしか通じない論理(屁理屈?)だけで事を進めているようでは、とてもじゃないが倫理的な企業とは言えない。
ここで考えなければならないのは、これまで企業倫理とはコンプライアンスを中心に捉えられてきたが、福島事故やいわゆるブラック企業問題などから「企業法を守ってさえいればそれで良いのか?」という新たな課題が提示されているのではないか、ということだ。企業環境が複雑化するに伴い、より高いレベルの企業倫理が求められている。個人への責任転嫁では解決にはならない。 |