○…WBCの準決勝対プエルトリコ戦の8回、日本のチャンスがダブルスティールの失敗で潰えて敗退、3連覇を逃した。これについて多くの批判に曝されているが、このことに関する相手のプエルトリコのコーチのインタービューが面白い。1点を取られて、1死1・2塁、4番打者、同点逆転を覚悟したという。日本はこれまで豊富な戦力を背景に試合後半に逆転してきたチーム、大した投手力でないプエルトリコがそう考えるのは当然。テレビで見ていても、試合の潮目が変わったと感じた。それを弱者がとるリスキーな作戦で逸したということだろう。
世界のエネルギー事情のなかで、いままで供給側に対して日本は弱いユーザーであったのが、潮目が変わって高価格で買う大量ユーザーとして、立場が強くなっている。米国の安価で大量のシェールガスブームが契機だ。当初内需主体の方針から、端的にいえば米国はシェールガスを日本に輸出して、その資金でシェールガスによる産業振興を図ろうとしているようだ。TPPに入ろうと入るまいと日本は米国産LNGを買い付けられるのだ。これに対してロシアも日本への売り込みを強めている。経済的にも破滅的なEUが期待できないので、日本市場・経済の立ち位置は強化されている。
有利となった日本の立場を十分に生かした経済交渉の姿勢が必要な時期なのだ。
○…学校教育の一環としてのスポーツ関係部活動における「体罰」、「暴力」が次々と明らかにされている。以前からこの問題はあったはずであるが、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部生徒自殺事件が大きく取り上げられたことを契機に、過去の暴力事件が次々と明らかになっている。つい最近では大分市の中学校の剣道部コーチによる殴る蹴るの体罰の映像が表面に出てきた。他に表面に出て来ないスポーツ界における暴力事件は数多いはず。
なによりもこの問題が非常に根深いと感じさせたのが、オリンピック女子柔道選手などが告発した監督など指導陣による日常的な体罰、言葉の暴力などの存在である。ところで、日本の学校やスポーツ界で体罰が蔓延するようになったのは第二次大戦後のこととする説が有力らしい。戦前のスポーツ学校教育では暴力的な体質は少なかったという。日本の近代スポーツは明治以降に欧米から入ってきたが、その際、ルール、マナーなどを重視する武士道精神にも通じる意識があったというのだ。国際的にも異常だといわれる日本のスポーツ界の暴力的体質はどこからきたのであろうか。体罰にしか頼れない指導方法のあり方、適切な教え方ができる指導者不足の問題もあるはずだ。
何よりも問題なのは「反省もなく、検証もなく、だれも責任をとらない」ことにつきる気がしてならない。 |