○…例年にない正月の寒さをひきずって如月を迎えた。暦の上では4日が立春だが、春とは名ばかり、寒さは当分続くのだろう。今後も雪の日も何日かあるだろう。防寒対策を考えねば…と思う。ところで、「きさらぎ」の語源については諸説あるようだが、その筆頭に「旧暦2月は、まだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」とある。
そういえば、齢を経るごとに着るもののボリュームが確実に変わった。若いころの下着は、上は半そで、下はパンツ1枚だった。それがいつのまにやら長袖となり、若い女性に軽蔑されるらしい「もも引」も着用するようになった。それでも足りずに、いろいろと重ね着をする。どうも私だけではないらしい。高齢になればなるほど、寒さに敏感になるのであろうか。それとも、単にこらえ性がなくなったのか。やはり若者は、肉体的には耐久性に優れている。そういえば老人とは肌のはりも艶も大いに違うのだ。
だが負け惜しみかもしれないが、防寒対策にいそしむ我々は「消費」という観点では、大げさに言えば日本経済に大いに貢献していることになる。重ね着をし、厚いコートをはおり、首にはマフラー、手袋を着用する。それでも足りずに、衣類に貼り付ける簡易保温を利用する。そして夜は熱燗で一杯だ。厳しい寒さも利点はある。
○…国内外の情勢、日本や世界の政治経済情勢、そしてエンジニアリング業界に事件が多発しているのだが、状況をうまく掴みとることができないので、今回はあまり注目されていない日本の考古学的発見について、考えて見たい。
福岡市の元岡古墳から発見された鉄刀の背に金象眼(刻まれた文字に金を埋め込む)の刻文が見つかった。その銘文に、西暦570年にあたると見られる「庚寅」という紀年が刻まれていたことが発見されたというものだ。
問題はその解釈だ。これを発見者の福岡市教委などが日本で暦が使われた最古の例としていることだ。日本書紀によると563年に百済から、暦博士を呼んでいることから日本での暦使用例としている。果してそうだろうか。
この刀以前に明らかに日本国産のいくつかの刀剣の刻文が知られており、なかでも埼玉県行田の稲荷山古墳の鉄剣は同じく金象眼で、「辛亥」という紀年が刻まれている。これは471年に当たるというのが定説。これは倭の五王の最後である雄略天皇の時代だ。つまり程度はともかく、100年以上前から暦はすでに使われていたのだ。
570年なら、仏教伝来(538or552年)から6世紀末以降の仏教興隆の飛鳥時代の中間、この時代の金石文として注目すべきだ。 |