○…「韓国石油化学工業の曙 全民済の挑戦」(全民済著、堀千恵子訳、柘植書房新社)という本を読んでいる。全民済氏は韓国の石油精製・エンジニアリング産業の創始者として著名な人物だ。「怡堂全民済回顧録、石油そしてエンジニアリング産業への夢(第一巻)」を翻訳したもの。邦訳の石油化学よりも、原著名に見るように韓国石油精製とエンジニアリング産業の黎明期を描いた書籍だ。
氏は大韓石油公社(油公)の設立に参加、技術理事として経営する。ところが石化工業への進出を計画するも外資(ガルフ)との関係を疑われ追放される(1章・2章)。
次に未開の分野であったエンジニアリングに挑戦、全エンジニアりングを再スタートさせ、油公の中堅エンジニアを受け入れて国内、中東を中心に海外で石油をはじめとする多様な分野で活動する。当時のエンジニアリング建設分離の韓国国内法の制約から建設会社として、兄弟会社新韓機工を設立、全エンジニアリングと相携え成長していった。ところが全斗煥政権下で海外建設促進法改定で新韓機工の海外建設免許が取り消されたことを契機に全民済氏はエンジニアリング事業から撤退、全事業を大宇の金宇中氏に売却した(3章・4章)。
パイオニアであり非財閥系の独立企業であった全エンジニアリングの苦闘の歴史が垣間見える好著である。
○…歌を歌うことは好きである。学校の音楽授業の成績は惨憺たるものだったが、歌そのものは好きだった。誰でもそうなのかも知れないが、いろいろな歌、メロディーにその時代を想い出されるときがある。若者にははなはだ評判の悪い“懐メロ”のなかにもそういう歌がある。感動した映画ではその主題歌は、ある場面を鮮明に思い出させる。映画のみならず、ある歌、メロディーが過去の自分自身のある経験を思い出させることもある。その対象は日本の歌謡曲であったり、唱歌であったり、歌曲、民謡であったりする。もちろん西洋音楽だったりもする。
ところがである。考えてみると、自分はある年代を境に歌、メロディーを聞くとその時代を彷彿とさせるという経験をほとんど持てなくなってきているのだ。感動する映画が少なくなってきているのか。歌いたくなるような歌がなくなっているのか。そう思うのは年をとった証拠かもしれない。加齢とともに自分の感受性が減退してしまった現れかもしれない。
けれど、こういうことは言えまいか。かつて未来に希望を持てる世の中があった。おおげさかも知れないが、現在の政治・経済・社会の先の展望が開けない状況が心のゆとりをなくしてしまっていることは言えまいか。心置きなく大きな声で歌を歌ってみたいものである。 |