○…10月は一年のうち、一番好きな月である。暑からず、寒からず、旅行には最適だ。山々では紅葉がはじまり、錦織りなす景色には息をのむ。食べ物も豊富な季節で、特に果物はみずみずしい。ひなびた温泉でゆっくり、のんびりと湯につかる、考えただけでも別世界だ。
ところで、10月は新暦でも「神無月」という。なぜ、「神無月」なのか。一番有力な説が神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」とする事であるといわれている。俗説なのか、一般には全国の神さまが一年のことを話し合うために「出雲大社」に集まるために、出雲以外に神がいなくなる月だという説がある。従って出雲では10月を「神在月」と呼ぶらしい。
しかし、「出雲へ行かず家や村に留まる田の神・家の神的性格を持つ留守神も存在し、すべての神が出雲に出向くわけではない」という。それでわかった。出雲以外には神がいなくなると言っているのは「出雲大社」であろう。そう言われるのには、「後付けの中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた俗説」とも書かれているからだ。
立場が違うと見方もがらりと変わる。神無月と神在月では正反対だ。そして、留守神という泰然自若たる神も存在する。何かと騒がしい9月末に「神無月」のことを考えたが、喧騒から離れ何も考えず温泉にでもつかりたい。
○…福島原発事故が当初報知されたものより遥かに深刻なものであり、被害総額も当莫大なものとなっている。世界的にいってもこの事故を契機にして原子力政策・エネルギー政策の転換が見られている。しかし当事国日本の政官財はここにきて急激に原発維持の方向に舵をきっているようだ。
原発のコストが安いというのはあくまでも電力会社のコストに載った分であって電源開発補助金など現状算定できるものだけでも安いわけではない、まして事故の被害額・最終処分費用など加えれば、原発を維持するには日本社会は極めて高いコストとリスクを払うことになることはだれが見ても明らか、地震多発国日本において原発は産業が成立っても日本社会が成立たなくなるリスクを福島事故は教えている。
石炭火力の新増設再開を政府が検討という新聞記事がでている。原子力に頼れなければ現実的には石炭という選択肢は福島後直ちに着手すべきものだ。エネルギー自給のできない日本にとって、世界的にコストが安く量的に確保可能なのは石炭しかない。原発撤退を決めたドイツは表面自然エネルギーなどと言っているが、自給エネルギーとして亜炭資源があることを忘れてはならない。地震災害・原発事故を理由として、京都議定書やその後継協議から脱退する絶好のチャンスなのだが。 |