○…中東を起点とする世界情勢の混乱、そして国内政治の混迷に隠れて、大相撲の八百長問題はマスコミでの露出度が低くなっているが、新弟子暴行問題・大麻・不良横綱問題・野球賭博に続くそれらよりもさらに本質的な根幹にかかわる不祥事だ。にもかかわらず、当事者である相撲協会幹部・年寄・力士の問題意識の低さにはあきれてしまう。公益法人として税の優遇をうけているにも関わらず、納税者である国民への謝罪の言葉が全くない。
公益法人としての公益性が現在の大相撲にあるかといえば皆無に等しい。国技だからという。国技とは現代社会の言葉でいえば、国民のスポーツということだろう。筆者が少年時代には男の子にとっては日常的なスポーツであった。いまがどうだろう。古来から言えば相撲は現在のような肥満漢のものでなく、だれでも取組むものであった。江戸時代に興行として大相撲が成立して肥満漢が脚光をあびた。明治になって大相撲は丁髷を残して特殊世界として残った。
大相撲はプロレスと同様の興行であり、営利組織として再出発すべきだ。それには興行として成立つためには、力士以外の人員・力士予備軍の削減、江戸時代以来の習慣の見直しなど抜本的リストラが必要だ。そして国民スポーツ(国技)としての相撲はアマスポーツの役割とすべきだ。
○…2011年が明けたと思ったら、はや3月である。3月3日は「桃の節句」だ。けれど、雛祭りといっても子供がいない家庭では、何にもしないのではあるまいか。あまりに情報が多すぎるせいなのか、こういう昔ながらの季節の変わり目、行事などがますます顧みられなくなっているのではあるまいか。
そういえば、5節句のうち、3月3日の桃の節句、5月5日の端午、7月7日の七夕はまだ、世間の認知度が高いような気がする。何かとビジネスに結びつけることができるから、コマーシャルで目にする機会が多いからだろう。5月5日みたいに休日にすれば、さらに認知度は高まる。気の毒なのは9月9日の菊の節句だ。一部、皇室の行事に残っているとも聞くが、一般的にはとんとその噂を聞かない。
1月7日は別にして、奇数の重なりをもって暦に意味を見いだすとすれば、当然考えられるのは11月11日があってしかるべきだ。6節句とまではいかずとも、何らかの記念日では?と調べた。あった。サッカーは11対11人で対戦するスポーツで有ることから、日付をこれに見立てて、「サッカーの日」であるそうな。スポーツメーカーが商魂たくましく提唱したそうだが、もう少しましな記念日であって欲しいものだ。 |