○…近年の日本経済は外需が好調でも、国内のデフレ解消にはつながっておらず、内需を振興する成長戦略が不可欠となっている。政府は成長の要として、医療・福祉サービス産業の振興を謳っている。この分野は高齢化の進む日本にとって、大きなニーズがあり、一見、内需中心の経済成長の柱になる必然性がありそうな分野だ。
第一生命研究所の試算を日経紙が引用しているが、医療・介護サービスの生産性は低迷、全産業平均の6割、賃金も落ち込んでいると分析している。現在の社会福祉サービスは日本経済にとってはコストであって、「産業」となっていない現実を示しており、成長の足かせとなる恐れもある。
現在の医療・福祉サービスはほとんどが公的保険制度による公的サービスだ。これは国民平等に安価にサービスを提供するもので、決して無くしてはならないものだ。しかし、最低限を超えるニーズに対応できるものではなく、利用者が望むサービスを十分に提供できるものではない。
健康保険における混合治療の解禁などの規制緩和が必要だ。公の役割はナショナルミニマムを提供するものとし、それ以上のサービスを提供するのは民間営利企業が担う形が望ましい。医療福祉サービスの賃金・企業利益が全産業並みとなって初めて、成長期待産業の対象となる。
○…大相撲の春場所が中止となった。このところ連日のように大相撲の八百長事件が新聞、テレビで大きく報道されている。まるで世の中の人、全てが相撲ファンであるかのような大ニュース扱いである。勿論、相撲に興味がある人も多いのは事実であろう。ただ、私の周りを見回してみても相撲ファンは少数派だ。「巨人、大鵬、玉子焼き」の時代に育った我々の年代にしてからそうだ。ましてや、今の若い世代に熱烈なファンが多いとも思えない。スポーツの世界でも多様化が進み、興味の対象も分散化しているのではあるまいか。
極端な話、場所の中のいくつかの取り組みで互助的な話し合いで出来レースが行われようとも、良いのではないかとさえ思う。相撲ファンであれば、そういうこともあり得るという前提で楽しめば良いのでは、と思うのは素人考えか。ただし、賭けの対象として胴元が恣意的に勝負を左右しようとするのであれば別の話だが。
相撲を「国技」であり、神聖なものだと考えている人は少数ではあるまいか。様式美を極めた特別な興行であるとの受け止め方が今後、未来永劫続くとも思えない。ましてや、連日のようにその動向を詳細に報道する必要がどこにあるのかと思ってしまう。我々の生活にもっと関連するニュースが片隅に追いやられている。 |