○…明治維新は近代日本の出発点だ。現代の話題となることも多い。NHKの大河ドラマが坂本竜馬だ。六月菅内閣発足時に自分の内閣を「奇兵隊内閣」と名づけた。もっともその趣旨はよくわからない。
明治維新を「ヒト・モノ・カネ・情報の流れの変化」という側面から考察した講演を聴いた。江戸期の制度から明治の新たな制度−鉄道・蒸気船・円・銀行・株式会社・郵便・電信・新聞など−への変化・確立と意義を分析したもの。
その変化の基盤に江戸期の身分制社会の解消がある。江戸時代には士農工商というより、武士・百姓・町人という身分、百姓と町人には身分差がないというの方が正しいそうだ。身分差別は厳しく、直接会話することもできなかった。当然、政治は上級武士層のものだった。ところが、幕末混乱期には身分に関わらず全士民が日本の将来への参画を求め、それが必要となっていた。
長州の奇兵隊はその象徴で、身分平等の先駆けといわれている。構成は上級武士1割、下級武士4割、農民4割、その他1割、長州征伐という、藩存亡の時にあたり長州藩全士民が立ち上がった姿になっている。維新後の近代国民国家・軍隊の魁とみる見方も的はずれではない。もっとも専門研究によると奇兵隊の実態は身分差は厳然とあるなど近代的組織とはほど遠かったようだ。
○…「平成お笑い劇場」が絶好調だ。テレビのゴールデンアワーをみるがいい。ひな壇に並んだお笑いタレントなどがクイズ、身内ネタ等々を競い合う。2時間あまりにわたっての特番は、警察もの、子たくさん、芸能人の旅番組でいろどられ、どこの局も横並びだ。たまに政治番組があれば、芸能人と見紛う政治家、評論家?が政治ネタで討論する。それもお笑いでおちをつける。そして、朝のニュースワイドショーもその範疇に入るような気がする。コメンテータと称する知識人とやらが、「国民は…」と連発し、あたかも自分が国民全ての意見を代弁しているかのように断罪する。知識・意見の多様性を感じさせる人はごく少数だ。テレビばかりではない、新聞の劣化も著しい。横並びの記事ばかりだ。独自の視点で取材したものなど、殆どお目にかからない。
この「お笑い劇場」がバラエティー番組にとどまっているうちはまだいい。テレビを消せばいいからだ。ところが、いまや政治の世界でも「お笑い劇場」が上演されるようになってきた。誰もが責任を取らず、身内をかばいあう。大衆受けするような言動につとめる。こうなると笑ってばかりいられない。今後、日本の政治・経済はどうなってしまうのだろうか。行く着く先は、痴呆国家であり、全体主義国家のような気がしてならない。為政者には都合のいい状況になってきた。
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