○…欧米人が主導している動物保護運動は、自然の摂理であるかのように世界中に押し付けられているが、その大半は欺瞞に満ちたものであり、過去の自分たちの動物や自然に対する犯罪行為の贖罪にすぎず、欧米外の人間にとって預かり知らぬものだ。
その典型は反捕鯨運動だ。米国を本拠とするシーシェパードなる環境テロリストに日本の調査捕鯨が攻撃され、太地町の古式捕鯨の不当な告発映画にアカデミー賞と、国際世論を反捕鯨・反日に駆りたてている。
ペリーによる日本開国から150年以上の歴史だが、米国による日本開国のニーズの一つとして捕鯨船の補給地の確保があったのは良く知られている。戦前の外交史家田保橋の名著「近代日本外国関係史」によると、米国の捕鯨業は独立以前からの歴史を有するが、19世紀に入って洋上捕鯨が開始され、乱獲を繰り返して新漁場を開発していき、米国捕鯨業の黄金時代であった当時は日本列島沖に漁場があったという。
鯨の最大の用途は鯨油である。燃料油・原料油など様々用途があった。日本人のような食肉用途はマイナーだ。灯火用途は石油による灯油が普及する以前の欧米の主燃料であった。鯨資源量は制限があるのに対し、石油や植物油脂の生産拡大で代替されていった。反捕鯨運動は鯨油目的の乱獲を繰り返した欧米捕鯨業の贖罪の典型といえる。
○…最近、夜のゴールデンタイムのテレビ番組が非常につまらなくなったと感じる。在京民放キー各局の夜7時〜9時ごろまでの番組が同工異曲に思えて仕方がない。どの局も2〜3時間にわたって同じような番組を流している。連日、お笑いタレントを大挙して出演させ、楽屋オチのような話で始終。あるいは顔ぶれがいつも同じのクイズ番組などなど。特にこの4月からの番組改編でその傾向が強くなったような気がする。たまに、真面目な政治番組かと思えば、お笑いタレントの一員と見まごう政治家、評論家が登場し、その討論の行く着く先はまるでお笑い番組の展開。
こう感じているのは私だけかと思ったら、周りに聞いても同じような感慨を持っている。「それなら、観なければいいだろう」と言われれば、全くその通りだ。
どうやら、景気が悪くスポンサーががた減りし、どの局も番組に金がかけられなくなっているらしい。そこで安易な番組づくりしかなく、劣化した番組の氾濫となっているようだ。
そんな粗製濫造のような番組は観なければ済む話だが、そう感じている人が多いとすれば視聴率はますます減るだろう。そしてスポンサーも減る。悪循環に陥らなければいいがと思いながら、私は今日もテレビを消している。
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