○…過疎化は伝統的な集落の崩壊を招いている。また都市においては人間関係の希薄化が叫ばれている。一方、市町村の平成の大合併がほぼ終了、市町村の規模が巨大化、地方財政悪化もあって、自治体は従来のきめ細かいサービスが困難になっている。住民の自治組織の見直しや新たに公的役割をになうNPOが必要となっているという。 いま崩壊に瀕している伝統的集落=村は一定の自治組織の役割を果してきたが、その姿を整えたのは戦国時代だという。江戸時代は村が年貢を引請け(村請)、明治以降は自治体の基盤となってきた。 戦国時代を題材とする時代小説や読み物は数多いが、それらは個別の大名の英雄史譚だ。しかし彼ら大名が領国の民衆=百姓に支えられた存在であり、民衆の具体的社会組織が村であったことが歴史学者により明らかされつつある。戦国時代は飢饉と戦争が日常化した時代であり、村が百姓による自治組織として、そして自衛組織として形成され機能していたのだという。 武田信玄が父親を放逐して家督を継承したことは著名だが、それは武田家臣のみならず、百姓など国内の人々から喝采されたという。親子の不和ではなく、世論の動向なのだ。平和的な代替わりでも世直しが求められている。すなわち施政者は現代と同様、民衆の支持が必要だったのは興味深い。
○…3月10日夜に放映された「東京大空襲語られなかった33枚の真実」と題するドラマをみた。正直に言うと、昭和20年3月10日未明に現在の墨田区、江東区、台東区一帯を焼け尽くした東京大空襲の実態をよく知らなかった。犠牲者数は後の広島、長崎に匹敵するというのにだ。なぜか記録が少なく、63年を経て記憶は薄れる。だが、344機のB29によって2時間余の間に約32万発の焼夷弾が投下され、約10万人の人が一瞬のうちに命を落とした。資料によると縁者によって引き取られた犠牲者2万人、無縁仏・行方不明者8万8千人ともいわれる。 ドラマは唯一地上からその惨状を撮影した警視庁写真係の石川光陽を主人公にしたものだ。彼は占領軍の写真提出命令を断る。そのうちの一枚の写真に目を奪われた。黒焦げになった親子の写真だ。母親が背負っていた子どもは、日付を考えると多分私と同年代であろう。 そしてもう一つ。約1千人の避難者が押し寄せて焼死した場所、横川国民学校の教員であった著名な書道家石川有一の書である。その激烈な書の最後にこう記してある、「右昭和二十年三月十日未明 米機東京夜間大空襲を記す 当夜下町一帯無差別傷痍弾爆撃 死者実に十万 我前夜横川国民学校宿直にて奇跡生残 倉庫内にて聞きし親子断末魔の声 終生忘るなし」と。
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