○…薬害C型肝炎被害者一律救済法案が成立する。一律救済というのがキーワードだ。政府責任範囲の被害者に和解金、範囲外については救済金という裁判所の和解案を原告団は蹴って、あくまで一律救済を求めて政治決着でかち得たものだ。とはいってもフィブリノゲン製剤など2種類の血液製剤投与被害者であり、対象は1000名程度、B・C型ウィルス肝炎患者350万人のほんの一部にすぎない。薬害患者でも血友病など先天性血液凝固異常の患者は除外されており、抗議の声を挙げている。官の責任があり、大きな患者数が潜在しているのは予防注射の際の使いまわしによる感染者だそうだ。こちらはカルテなどによる証明もできないし、本人に予防注射の記憶がないので証明が困難で訴訟も容易でない。肝炎全体を対象とする基本法案は与野党の調整がつかず、継続審議となるが、その内容に期待されるところ大である。 一律救済というのは官がいままで避けてきたやり方だ。政治決断で踏み込んだことは、他の各種被害−原爆被害・水俣病被害・各種公害関連被害など多様な広がりをもって、一律救済が課題となってくると思われる。健康被害にとどまらない、例えば小沢民主党は年金記録被害者には証拠に関わらぬ一律救済を唱えている。官だけでなく企業にも大きく影響する課題だ。
○…あちらこちらで取り上げられていたが、昨年の特徴は「謝罪会見」が大はやりであったこと。企業のトップが「偽」で逃げ回ったが、逃げ切りず仕方なしに「謝る」というパターンだ。逃げ回ったのは何も企業トップに限らない。ボクシング、相撲、官僚、政治家までもが大いに「逃げ回った」のだ。 そして、「世間をお騒がせ致しました」と謝るのだが、誰に対して、何について謝ったのかよく分からないという会見が続出した。どこかで、「謝るということはどういことか、これを子供達に教えなければならないのでは?」と書かれていたが、全くそのとおりだと思う。 「謝る」と同時に、責任をどうとるかが全く見えてこない。その責任のとり方があいまい、不十分であれば責任をとったことにはならない。ただ、「申し訳なかった」では単に許しを乞うだけだ。企業の謝罪会見では役員、担当者が並び、頭を下げる。ところが、頭を下げただけでは謝罪にならない。特にひどかったのが、創業者一族出身の経営者が、隣の母親から発言を教えてもらっていたことだ。社内や組織の不祥事は、例えそれをトップが知らなかったとしても、社会的にはトップの責任だ。その自覚のない人にリーダーの資格はない。そのことをまず子供達に教えよう。
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