○…国立歴史民俗博物館(歴博)に行って、企画展「弥生はいつから?−年代研究の最前線−」を見て来た。歴博は弥生時代の年代観の見直しプロジェクトを進め、2004年に弥生時代の始まりを従来より500年さかのぼることを発表したが、今回その成果を具体的資料をもとに示した渾身の展示だ。年代を明らかにする新たな理化学的方法である年輪年代法と歴博が進めている炭素年代法の展示から始まり、九州・四国・近畿・東北などで縄文時代から水田稲作に移り変わる様子が紹介されていた。今回の展示で東アジアと関連と言いながら、具体的展示に乏しかったのは残念であった。 弥生時代の期間が1000年になることによって、稲作は相当な時間をかけて普及していったことになり、日本文化の原点は縄文よりやはり弥生にあるというべきだろう。この新年代観はいまや定説化しつつある。 同時に併設のくらしの植物苑で同時に開催されていた「伝統の朝顔」展も見てきた。江戸後期にブームとなった変化朝顔の世界を展示したもので、6年目になるという。朝顔の花・葉・茎・姿全てにわたる驚異の変化、あらゆる植物を朝顔で表現するのではとも思えるものだった。現代では遺伝法則で解明・復元されている変化とその維持が江戸の作り手が経験的行ってきた。まさに江戸の先端技術だというのは至言だ。
○…小さいころ、「酔っ払い」が異様に恐かったのを覚えがある。なぜそんなに恐がったのか、今ではその理由がはっきりしない。多分、陽気になる、むっつりする、怒り出すなど、普段と性格が変わり、正体が変わってしまった人と接するのが恐かったのではあるまいか。自分も「酔っ払い」の部類に入ってしまってから恐いことなどとんと忘れていた。 この夏、ある夏祭りの責任者となった。2日間行われた祭りへの参加者は1万人弱であったろう。そこで、小さいころ感じた「酔っ払い」の恐さ、というより理不尽さに辟易した。そこでは酒類がふんだんに振舞われた。酔っ払うのは当たり前だ。大きなイベントだけに関係者も多い。その関係者の殆どが「酔っ払い」である。しかし、責任者は酔っ払うわけにはいかない。その素面の責任者は、これら多数の酔っ払いが言ってくる、持ち込んでくる問題に対応しなければならない。理屈は通じないのだ。中には大声で、しかも喧嘩腰で文句をつける人もいる。とにかく辟易し、二度とやりたくない。 「酔った勢いで…」、「酒の上のこと…」という言い訳はますます通じにくくなっているが、自分を忘れてしまうほど酔うのは今後止めにしたいと自戒している。酔った勢いの人多数を相手にした実感である。
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