EnB 1号 目次
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■EYE
あきれた「環境原理主義」詳細へ

■INTERVIEW

全体見渡せる経験生かし社業発展に注力
経営課題は組織効率化とリスク最小化
日揮代表取締役社長 竹内敬介氏

■REPORT
盛況だったLNG15
プラント・船・タンクの大型化がさらに進展
トーヨーカネツ 廣瀬仁志

■GLOBAL Report
米国デザインファーム、進展する業界再編
 2006年の米国エンジニアリング企業の動向(1)
-デザインファーム編-

■TOPICS
世界に広がるLNGプロジェクト
海洋温度差発電が海外で実績へ
日米が原子力で共同行動計画

■NEWS Flash
・日立プラント、海外展開を加速
・IHI、危険物用自動倉庫が好調
・三菱重工、ERPシステム用車載器70万台受注
・川崎重工、木質バイオマスガス化設備納入
・神戸製鋼、砒素を吸着する鉄粉を開発
・三井造船、新社長に加藤氏
・JBIC、中東・アジアで関係を強化
・NEXI、カザフ原子力公社と協力協定
…東芝、カザトムプロムとMOU
…TEC、役員人事
…NEDO、CCTモデル事業委託先を募集
・住友商事、米社と石炭改質事業でパートナーシップ
・PCFで参加する23件のCDM/JIで承認
・FBR実証ステップでイメージ提案

■Projects News

…Fujairah2で丸紅が優勢
…サウジYanbu製油所でEPC入札プロセス開始
…南京BP-YPCの酢酸プラントをTechnipが受注
…S&W、中国のエチレンに技術供与
…Sinopec、PO-SMでJV設立
…Toyo-India、PMサービス受注
…日揮等、ナイジェリアのLNGでFEED
…サウジカヤン、HDPEを中国に発注
…ラービグ第2期計画でスタディへ
…オマーンSalalahでプロポーザル
…ロシア・Baltic LNGで外資選定進む
…物産とペトロブラスがエタノールでJV

■フォーラム

■海外・国内主要プロジェクトの動向

■最近のプロジェクト受注・契約状況

■連載
しらないでは済まされない
海外プロジェクト建設法律のミソ

■エンジニアリング・ダイジェスト

■EDITORIAL
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EnB 8号 表紙

 

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あきれた「環境原理主義」
京都で開催されたアジア開発銀行(ADB)年次総会で、総会議長を務めた尾身幸次財務大臣は温暖化対策について「京都議定書を超え、米国、中国、インドを含むすべての国が参加する新たな、実効力のある枠組みが必要」と述べた。この発言に対して、環境NGOのグリーンピースは「京都議定書が誕生した会場で、日本の閣僚が世界の合意をないがしろにするかのような新たな国際的枠組みの構築を提唱したことは大きな問題だ」と批判している。
 実際のところ、京都メカニズムは着実に動き出しているものの、温暖化ガス削減目標が効力を失っているのは既に明らかとなっている。世界最大のCO2排出国である米国が議定書から脱退。急速に経済成長し、大量のCO2を排出している中国やインドは最初から枠組みの外。それに加えてカナダも温暖化ガス削減目標の第1約束期間内での達成は不可能とギブアップした。日本と欧州だけが一所懸命頑張っても、地球温暖化に歯止めをかけることはできるわけでもない。そもそも、議定書に書かれている約束期間内に削減目標達成しなければならないという性質のものでもない。従って、尾身財務大臣の発言内容は全く正しい。
 グリーンピースはADBに対して「クリーン・コール・テクノロジー(CCT)を含めた石炭事業への融資の中止」を求めたという。過激な環境保護団体として、数々の事件を起こし、多くの顰蹙を買っているグリーンピースだからしょうがないとはいえ、この「環境原理主義」にはあきれるしかない。ついにクリーンコールテクノロジーまで敵視し始めたようだ。
 石炭は地球上に豊富に存在する貴重なエネルギー資源である。有限な資源を効率よく使っていくことが、後世の人類の文化的生活を保障するのだから、クリーンコールテクノロジーは優れた思想に基づくエネルギー技術である。グリーンピースでは「クリーンエネルギー」だけで全人類の文化的生活が可能となるというあり得ない妄想を抱いている。現実を正しく見れば、石炭や原子力などの資源を如何に有効に使っていくかが今後の人類にとって実に重要な技術課題だということがわかるはずだ。
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編集後記

○…水戸黄門は40年近いテレビドラマのおかげで、知名度は抜群である。水戸黄門すなわち徳川光圀が諸国を漫遊した事実はないから、黄門漫遊記はまったくのフィクションである。フィクションでない光圀は、きわめて道徳的な明君とされているが、生存時から現在にいたるまで、光圀像は時代により大きく変貌してきている。  実は最近の歴史学では光圀研究はほとんどないそうだ。歴史ジャーナリスト鈴木一夫氏の「つくられた明君」などの著書がその間隙を埋めている。光圀は荒びた戦国が残った時代から、消え行く時代を生きている。光圀は遊びも文武両道もというきわめて魅力的な生き方をしたようだ。民政に熱心であり、隠居後は領内をめぐり領民との接触が多かったことが名君伝説を生み、さらには漫遊録の下地になった。学問好きの光圀は実証的歴史として大日本史を編纂しようとしたようだ。
 実際の民政は厳しいものであり、それをやさしいお殿さまというイメージでソフト化していたといってよい。光圀は名君そして神格化され、水戸藩の藩政改革を阻み、大日本史編纂は財政負担とともに尊皇思想「水戸学」を生み出し、水戸藩には幕末の混乱と悲劇をもたらした。光圀は狂狷な水戸学のもと、過激な尊皇思想家に、大日本史はそのバイブルと化してしまった。
○…世の中便利になった。携帯電話、インターネット、いくら遠くに離れていても瞬時に意思疎通がはかれる手段がある。これによって、助かった、と思うこともしばしばだ。最近は、小学児童でも携帯電話を持っているし、インターネットを使いこなしている児童も多いとか。ITは我われに多くの恩恵をもたらしている。
 だが、最近思う。便利さと引き換えに失っているものも大きいのではないかと。
 もう40年も前だが、ある著名な経済学者の講演を聞いたことがある。経済学に関する講演内容はとっくに忘れたが、漫談のような余談だけは記憶している。
 「“人”はMAN。これが“人間”となればHUMANとなる。“間”をもつことによって単なる“ヒト”がはじめて人間となる。だから、単なる“人”でしかないやつのことを、“間抜け”という」。正確ではないだろうが、おおよその内容はこんなことだったと思う。
 要するに、人間にとって、いかに“間”ということが大事かということを言いたかったのであろう。舞台を例に取れば、“間”がなければ実に味気ない。
 生活からどんどんこの“間”ということが抜け落ちているような気がしてならない。携帯電話で“間を取る”ことなぞないのだから。文章も行間が大事と自戒する。

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