○…水戸黄門は40年近いテレビドラマのおかげで、知名度は抜群である。水戸黄門すなわち徳川光圀が諸国を漫遊した事実はないから、黄門漫遊記はまったくのフィクションである。フィクションでない光圀は、きわめて道徳的な明君とされているが、生存時から現在にいたるまで、光圀像は時代により大きく変貌してきている。
実は最近の歴史学では光圀研究はほとんどないそうだ。歴史ジャーナリスト鈴木一夫氏の「つくられた明君」などの著書がその間隙を埋めている。光圀は荒びた戦国が残った時代から、消え行く時代を生きている。光圀は遊びも文武両道もというきわめて魅力的な生き方をしたようだ。民政に熱心であり、隠居後は領内をめぐり領民との接触が多かったことが名君伝説を生み、さらには漫遊録の下地になった。学問好きの光圀は実証的歴史として大日本史を編纂しようとしたようだ。
実際の民政は厳しいものであり、それをやさしいお殿さまというイメージでソフト化していたといってよい。光圀は名君そして神格化され、水戸藩の藩政改革を阻み、大日本史編纂は財政負担とともに尊皇思想「水戸学」を生み出し、水戸藩には幕末の混乱と悲劇をもたらした。光圀は狂狷な水戸学のもと、過激な尊皇思想家に、大日本史はそのバイブルと化してしまった。
○…世の中便利になった。携帯電話、インターネット、いくら遠くに離れていても瞬時に意思疎通がはかれる手段がある。これによって、助かった、と思うこともしばしばだ。最近は、小学児童でも携帯電話を持っているし、インターネットを使いこなしている児童も多いとか。ITは我われに多くの恩恵をもたらしている。
だが、最近思う。便利さと引き換えに失っているものも大きいのではないかと。
もう40年も前だが、ある著名な経済学者の講演を聞いたことがある。経済学に関する講演内容はとっくに忘れたが、漫談のような余談だけは記憶している。
「“人”はMAN。これが“人間”となればHUMANとなる。“間”をもつことによって単なる“ヒト”がはじめて人間となる。だから、単なる“人”でしかないやつのことを、“間抜け”という」。正確ではないだろうが、おおよその内容はこんなことだったと思う。
要するに、人間にとって、いかに“間”ということが大事かということを言いたかったのであろう。舞台を例に取れば、“間”がなければ実に味気ない。
生活からどんどんこの“間”ということが抜け落ちているような気がしてならない。携帯電話で“間を取る”ことなぞないのだから。文章も行間が大事と自戒する。
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