○…フジテレビとライブドアによるニッポン放送株買収争いが過熱している。フジサンケイ側のライブドアの嫌いようは尋常ではない。ライブドアの「インターネットと既存メディアとの融合」という提携申し入れを抽象的、ライブドアの意図が不明として敵対視する。果してライブドアの意図は不明確なのだろうか、フジサイドは本当にわかっていないのだろうか。実は最近のライブドアのやっていることや発言をみれば、既存メディアに対する狙いははっきりしている。この点に関して江川紹子氏(オーム問題で著名)が堀江社長とのインタービューをネット上で紹介しているのが、参考になる。堀江氏は報道はいずれ新聞・テレビからインターネットに移行していく。しかしまだ日本では既存メディアが信用されている。このメディアをライブドアがもつことで、インターネットの信頼度・利用を高めていく。新聞・テレビのノウハウ・影響度を吸収していき、既存メディアの臨終を早めていくと要約されている。
すでに韓国ではオーマイニュースというインターネット新聞がハード新聞各紙を上回る読者を獲得している。そしてノムヒョン大統領の当選そして政権の維持に大きな役割を果している。
こういう状況をフジ側が知らないわけがない。既存メディアに対する重大な挑戦なのだ。
○…小学校唱歌、童謡などが好きである。いまや、このたぐいの歌は、ラジオ、テレビからは殆どと云っていいくらい消えうせてしまった。もちろん、学校の音楽の教科書にも載っていないようだ。
小中学校の入学式、卒業式に出席する経験をこの3〜4年持ったことがある。そこで唄われる送る歌、迎える歌はかつて自分が経験した歌とは全く違う。リズム感に富んではいるが、思わず涙が溢れてくるような歌詞でないのは確かだ。それゆえかどうか分からないが、涙を流す生徒はごく僅か。周りの生徒はそれを不思議そうに眺めている。だから悪いといっているわけではない。時代に即した歌があっていいだろう。
けれど、万感がこもる歌詞というものがかつての唱歌、童謡にはあったような気がする。不思議と出だしを聞けば美しい日本語の歌詞が口をついてでる。生活スタイルが違うので「菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端かすみふかし」などという風景はいまの子ども達には想像もつかないかも知れない。だが、美しい日本語の響きが唱歌、童謡にはあった。それが消えた今、美しい日本語を知っている子ども達もまたいなくなってしまったのではないか。ゆとり教育を見直すそうだが、美しい言葉を得ることが先決だ。
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