○…六本木ヒルズで回転ドアの死亡事故をきっかけに、回転ドアによる事故が多発していることが明らかとなった。回転ドアのあるビルに頻繁に出入りしていたことがあるが、慣れるまでかなり使いにくかった。介助者なしで幼児や高齢者が使うのは危険きわまりないと感じたが、案の定、どこの事故でも大半は幼児や高齢者だ。幼児や高齢者にひとりでつかわせない対策をとっていれば防げた事故のように思う。
六本木ヒルズの事故で建物の所有者森ビルと回転ドアの製造企業の親会社三和シャッター工業との間で、責任のなすりあいが生じている。速度を上げることやセンサーの感度を変更したこと、さらにそれらの安全性への影響に関しての相互の見解の相違だ。納入業者が顧客に真っ向から楯突くのは極めて珍しい。回転ドアの機械としての安全機能に問題があるようには見えない。三和シャッターは機械としての安全性を保証していたに過ぎないから、顧客と争っているように見える。
回転ドアのように、ある程度複雑なシステムの場合、単なる機械の安全性ではなく施設・システムの中での種々の運用条件に応じた安全性をメーカーは保証し、顧客は安全性に応じた運用をするということ=つまりプラントと同様の保証・責任体制が必要なのではなかろうか。
○…商品にどういう名称をつけるかは売れ行きにも左右する。企業がもっとも苦心するところだろう。ブランドとして広く浸透して他社の追随を許さない名前もある。例えば、グルタミン酸ソーダである「味の素」などだ。商品の説明を一言で可能にしている。車の[ブルーバード」、「クラウン」などの愛称はベストセラーを可能にした。
しかし、個人的にどうしても馴染めないのが擬人化した名称だ。「○○○くん」など。このような名称は、どうも生産財に多いような気がする。工場で搬送ロボット、溶接ロボットなどに愛称をつけたのが始まりではなかろうか。無機質な職場で「ともに働く」存在として擬人化し、愛称をつけるというのは理解できる。ところが、その後メーカー側がその製品名に愛称をつけ始めた。工場監視システムに「しっかりみはるくん」(現実にはこのような商品はない)といった愛称をつける類である。生産財は性能・品質が問われるでのあって、擬人化した愛称は無意味だ。何故か製品自体が軽く感じられてしまうと思うが…
不要な愛称はまだある。災厄をもたらす台風に「キャサリン」等の人名をつけた米占領軍。さすがに日本はその後、真似をしなかったが、その感覚はどうしても理解しがたい。核爆弾に「せんめつくん」などの愛称は御免被りたい。
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